第三十九回 平遠に戦って、蔡敏栄、功を奏し、
   曲靖を守って、郭荘図は敗績す。
 
 さて、馬宝は象を使って敵を攪乱するつもりが、敵の火計により、却って自軍の象によって大混乱に陥ってしまった。
 だが、馬宝はもともと戦上手。狂乱した象が反転した時に敵の計略へ陥ったと悟り、三軍へ急使を走らせた。
「左右に分かれて陣立てし、象の逃げ道を作れ。やり過ごしたら、戦いつつ退却しろ。」
 だが、象のすぐ後ろから、蔡敏栄軍が肉薄していた。
「馬宝は戦上手。これとまともに対峙したら、撃ち破ることは困難だ。この機を逃さず撃破せよ。」
 号令を受けて、蔡敏栄軍の兵卒達は奮い立った。
 片や馬宝軍は、命令を受けたものの、計略を逆用されたことに慌て、少なからぬ混乱が巻き起こっていた。そこへ、蔡敏栄軍が襲いかかってきたのだ。彼等は皆、精鋭兵。その上、号令を受けて奮い立っていた。馬宝の力も及ばず、周の兵卒達は、次々と逃げ出して行った。
「もはやこれまでか。」
 名将は、機を見るに敏。戦況へ見切りを付けた馬宝は、貴陽への撤退を命じた。そして、胡国柱へも伝令を飛ばし、撤退して貴陽の要道を確保することを伝えた。敵が貴陽へ集結したら、これを孤立させる為である。
 蔡敏栄は、追撃を掛ける。もともと、彼は容赦なく戦う男だった。追撃を掛けられた馬宝軍は、大勢の兵卒が殺されて行き、街道は彼等の血潮で朱に染まった。そこで、馬宝は仕方なく、諸軍を無事に逃がす為に、三千人を率いて殿軍となった。
 既に日暮れも近く、彼等は遵乂城付近まで退却していた。しかし、敵は肉薄しており、遵乂城のような小城では持ちこたえられそうにもない。惜しくはあったが、馬宝は遵乂城を棄てて逃げた。
 蔡敏栄は、前軍の兵卒達の疲労を考慮し、彼等へ遵乂城を占領させると、駐屯を許可した。しかし、後軍へ対しては、更に追撃を命じたのである。
「馬宝とは数年来戦ってきたが、ここまで追い詰めたのは初めてだ。次があると思うな。敵を徹底的に壊滅せよ。足を休めるな!」
 号令を受け、兵卒達は益々勇み立った。
 そして又、蔡敏栄はキジコへ対して桟道から貴陽へ入って馬宝を攻撃するよう命じた。貴陽は、貴州の要害である。馬宝と胡国柱がここへ逃げ込めば、厄介なことになると考え、先手を打ったのだ。 

 一方、馬宝から敗北の報を受け取った胡国柱は、貴陽めざして撤退した。
 蔡敏栄もキジコも、携帯食料だけ持たせて貴陽へ急ぐ。勝ちに乗じた勢いで、兵卒が奮い立っていた為、彼等の軍は胡国柱より半日も早く貴陽へ到着した。
 貴陽へ着いた胡国柱は、蔡敏栄の大軍を見て、大いに慌てた。
「敵の精鋭が、いつの間にここまでやって来た?」
 そこで、胡国柱は敢えて進軍せず、馬宝との合流を求めて、更に西へ進んだ。
 ところで、馬宝は、敵軍が貴陽占拠へ出ることを予測していたので、胡国柱へ貴陽の要道を押さえるよう要請していたのだ。そして、自身の軍が貴陽を過ぎる時には、敗残の軍なので、貴陽へ入城しても胡国柱と共に一隅に孤立するだけとなることを危惧し、これに入城しないで平遠まで退却していたのである。だが、そこへ胡国柱軍が逃げ込んできた。 これでは、敵を貴陽で孤立させることはできない。敵方に、貴陽を完全に制覇された格好となってしまった。馬宝も大いに慌て、胡国柱と互いの齟齬について訴え合った。
 さて、貴陽は、守備兵も少なかった。蔡敏栄が軍鼓を鳴らしただけで守備兵達は逃走し、清軍は貴陽を占拠してしまった。蔡敏栄はすぐに入城し、穆占とキジコは城下に駐屯し、ここで兵卒へ三日間の休養を与えて、更に進軍を開始した。 

 平遠まで落ち延びた馬宝と胡国柱は、雲南へ敗北を告げた。雲南は大いに震動し、そして、呉世蕃の心に猜疑が芽生えた。
”馬宝も胡国柱も一時の健将。麾下の人馬も多いし、百戦の精鋭ばかりだ。事実、洞庭・岳州では、蔡敏栄相手に一歩も引かずに戦っていたではないか。それがなぜ、こうも俄に敗走が続く?それに、貴陽は重要な土地。それを守りもしないで破棄するとは、合点が行かぬ。”
 折しも、蔡敏栄が馬宝を招降した事が報告され、又、雲南には謡言が蔓延していた。とうとう、彼は馬宝の異心を疑い、これの招回を決心した。又、胡国柱にしても、確かに彼は「ふ馬」とゆう皇室の至親ではあるが、馬宝と長年協力したことを思えば、一つ穴の狢にも見えた。そこで、胡国柱まで併せて招回し、その後任として夏国相、高起隆、王会を平遠へ送ろうと考えた。
 この聖諭を見て、夏国相は大いに慌て、その理由を糺そうと、即座に朝廷へ赴いた。すると、朝門にて、ちょうど大学士の天拏と出会ったので、夏国相は言った。
「馬宝は戦略に精通し、戦陣にて長年暮らしてきた男。今回、偶々敗北したが、必ず挽回してくれる。胡国柱も、才能はピカ一。確かに今までは放縦で安逸に流れていたが、既に心を入れ替え、奮起して事に当たっておる。我が料るに、この両名が貴州に居れば、敵は易々とは雲南へ侵入できないだろう。」
 すると天拏は、皇帝が馬宝と胡国柱の造反を疑っている件を、その経緯から克明に伝えた。それを聞いた夏国相は、急いで入朝すると、呉世蕃と謁見し、馬宝・胡国柱両名の招回を撤回するよう要請した。
 すると、呉世蕃は言った。
「馬宝が敗戦続きだから、彼がその土地と相性が悪いかと考え、召還するだけだ!」
 それに対して夏相国は、敵の反間工作に陥らないよう諫めた。呉世蕃は暫く考えていたが、やがて言った。
「往時の実績を見れば、卿の才も、馬宝に劣らぬぞ。」
「いいえ、軍才では、臣は馬宝に及びません。ただ、、郭ふ馬が曲靖へ出張っておりますが、あの兵力では結集した敵兵力と対抗し得ないことが、臣には気がかりです。そちらの加勢なら、臣でも何とかこなせましょうが。」
「それならば、馬宝を曲靖へ赴かせてはどうか?」
「指揮官が交代しますと、上下が互いに気心を飲み込むまで、時間が掛かります。この時間の浪費は、敵の付け入る隙を造ります。それに、戦況を熟知した者に指揮させるのが一番です。」
 それを聞いても、呉世蕃は黙り込んだままだった。
 夏国相は言った。
「これは、我が国の存亡に関わる事でございます。馬宝は、先帝陛下と共に、荊を払い棘を折って道を切り開いてきた重臣。そして、先帝は彼を柱石とも恃んでおりました。どうか陛下、妄りに猜疑なさいますな。」
 言い終えると、国相は何度も叩頭した。だが、呉世蕃は従わず、夏国相は高起隆、王会と共に即刻任地へ赴くよう命じただけだった。夏国相はどうすることもできず、涙を流して退出した。
 呉世蕃の決心は変わらない。夏国相は、郭荘図へ曲靖を固守するよう命じ、政の概要は林天拏へ任せ、高起隆・王会と共に平遠へ向かって出立した。 

 さて、馬宝軍は平遠まで退却した後、日夜警備を怠らなかった。連敗の後ではあったが、各将は皆、命令を遵守している。大局では確かに危機に至ったが、まだ挽回の余地もある。それ故、胡国柱と共に全力を挙げて守備を固めていたのである。
 そこへ突然、改任の報が届いた。夏国相、高起隆、王会が後任となるとゆうのだ。馬宝は大いに慌て、胡国柱へ言った。
「朝廷は、我等を疑っている!主上は、まだ幼く、国家は多難のこの時期にだ。どうすればよかろうか?夏国相には才覚があるが、しかし、指揮官が替わると混乱が生まれる。敵に乗じられたら危ないぞ!」
 すると、胡国柱は言った。
「主上がそうであれば、報われぬ努力でも、励むしかありません。ただ、将軍が敵と対峙している時は、君命と言っても受諾できないものもあります。その点について、夏国相が到着したら、十分に協議するべきでしょう。」
「公の言葉は正論だ。だが、交代拒否などすれば、陛下の猜疑を益々強めてしまうではないか!夏国相は忠義で知略も多い。我等の本心を理解してくれるだろう。だが、高起隆は、先帝の義子。陛下の寵臣だし、彼はこの兵権を長い間宿望していた。高起隆の前でそんな言葉を言ってはならない。」
 彼等が話し合っている間に、夏国相、高起隆、王会等が到着した。馬宝は即座に面会し、各々、一別以来を語り合った。
 夏国相は、ただ馬宝を見て哭くばかり。馬宝も哭いた。
 一しきりして、夏国相は馬宝へ言った。
「我が軍の敗北が続いたが、軍士はまだ従順だ。それに能将もおり、形勢挽回の望みは、まだまだ十分にある。こんな人事は行ってはならなかったのだ!槍を振るって敵陣を落とし、危機に臨んで勝ちを得る。その能力は、我は公に及ばない。そして、百僚を整粛させ、兵糧を滞りなく手配することにかけては、公は我に及ばない。それでも我がここへ来たのは、やむを得なかったのだ。」
 馬宝は言った。
「尊公の意は、痛いほど判っております。何にしても、弟等は連戦して全敗いたしました。愚弟は、恥じ入るばかりです。公の高才ならば、きっと巧くやれましょう。ただ、指揮官が替われば、慣れるまで部下がまごつきます。その間隙を衝かれるのが恐いのです!」
 この時、胡国柱は、交代が不利であることを力説した。すると、夏国相は言った。
「我も又そうしたい。だが、主上の猜疑が更に深まり、内乱にまで繋がることが恐いのだ!」
 王会が言った。
「事態は逼迫しております。交代は迅速に行わなければ。でなければ、我等が速やかに引き返すか。」
 それで協議にけりが付き、交代するべきだと皆が言った。
 馬宝と胡国柱は兵符を返還し、軍中の要務を一々引き継いだ。そして諸将を召還した。この時、呉世蕃の猜疑については一言も喋らず、ただ、曲靖へ向かうことのみを理由に告げた。そして、将兵達へ夏国相の麾下へ入るよう命じ、二人は雲南へ向かった。夏国相等は、各営の兵卒達へ、馬宝の召還を秘するよう命じ、将兵の鍛錬に精を出した。
 だが、この交代劇は、すぐに蔡敏栄の知る所となった。そこで、彼は諸将を呼び出すと、軍議を開いた。
「馬宝と胡国柱は雲南へ戻った。我が計略は成功し、今、夏国相が交代した。夏国相の才覚は馬宝にも劣らないが、部下がその指導に慣れていない。
 昔、廉頗が趙の将軍だった時には、戦えば必ず勝ち、城を攻めれば必ず落とした。だが、その彼が魏の将軍となってからは、大した軍功を建てることもできずに一生を終えてしまったものだ。古来の良将でさえ、土地が変われば功績を残せなかった。ましてや夏相国程度なら、尚更ではないか。
 今、我等は即戦こそ上策。もしも時間をかければ、夏国相は馬宝のやり方を掌握し、自己の手法も加えて更に強固な守備を完成するかも知れない。そうなれば、撃破することは難しいぞ!」
 これを聞いて、諸将は皆、頷いた。
 そこで蔡敏栄は、穆占とキジコを両翼とし、自身は中軍を率いて平遠めざして進軍を開始した。 

 その消息は、直ちに夏国相の許へ伝えられた。
 夏国相は言った。
「敵は馬宝の更迭を知ったな!だから、勢いに乗って進撃してきた。我はまだ、交代したばかり。今戦うのは不利だが、戦わずには済むまい。平遠には、守るべき険がない。持久の策は使えんぞ!」
 そこで、高起隆・王会を両翼として、穆占・キジコへ対峙させ、自身は中軍を率いて蔡敏栄と戦う。その手筈が整った頃、蔡軍が到着した。
 虎の子の象軍は、既に撃破されている。兵卒達の心は浮き足だった。そして、蔡敏栄は、短期決戦を望んでいた。
”今戦えば、必ずや夏国相を撃破できる。”
 そう踏んだ蔡敏栄は、平遠へ到着早々、周軍と十余里の距離で、左右翼の穆占とキジコへ突撃を命じた。
 万槍が一斉に飛び交い、その勢いは極猛。
 この時、蔡敏栄の中軍は動かなかったので、夏国相は思った。
”さては蔡敏栄め。まず両翼を戦わせ、吾が移動するのを待っているな。”
 そこで、夏国相は高起隆と王会に両翼と戦わせ、自分の中軍は動かさずに、蔡敏栄が攻撃を仕掛けてくるのを待った。だが、勇猛な周兵とはいえ、指揮官が替わったばかり。その動きには齟齬が生まれ、遂に敵兵に乗じられてしまった。
 蔡敏栄は、勝ちに乗じて進軍を命じ、清軍は津波のように押し寄せた。これを受ける周軍はジリジリと押されて行く。それを見て、夏国相は思った。
”吾が救援に赴けば、蔡敏栄も動く。そして、左右両翼は必ず蔡敏栄に乗じられる。よし、こうなったら敵の中軍を直接攻撃し、吾自ら蔡敏栄を倒すしかない。”
 そして、夏国相は敵の中軍目がけ、怒濤のように攻め寄せた。これに対して、蔡敏栄は応戦し、双方共に死力を尽くして戦った。この両軍は、互角に戦った。しかし、高起隆と王会は支えきれず、とうとう穆占・キジコの両翼に追い立てられて、敗走してしまった。
 ここに至って、夏国相は大いに慌てた。対して、蔡敏栄は号令をかけた。
「我が左右の両軍は、既に勝利を収めたぞ。我が中軍が後れをとってはならぬ!」
 これを聞いて清の三軍は更に奮った。
 対して、夏国相の軍中は、左右両翼が敗走したことで兵卒達が浮き足だった。そこへ、蔡敏栄が勝ちに乗じて攻撃したのだ。どうして対抗できようか?こうして、夏国相軍も押しまくられた。
 夏国相は思った。
”ここで敗北すれば、貴州全土を失う。そうなれば、雲南も震駭する。だが、ここは撤退するしかない。もしも必死になって抵抗しても、穆占・キジコ軍が戻ってくれば、挟撃される。そうなれば、逃げることさえできなくなるぞ。”
 かくして、人馬を率いて退却した。
 蔡敏栄は、追撃を命じ、左右へ言った。
「夏国相も又、悍敵だ。幸い、両翼を破れたから奴等は逃げ出したが、そうでなければ勝敗は判らなかった。しかし、とにかく、奴等は逃げた。この機会に追撃を掛けて殲滅するのだ。この兵力さえ屠れれば、雲南など、手に唾して取れるぞ。」
 そして、諸将を率いて一斉に進撃した。部将の朱元亮の一隊だけは平遠へ入城させて、これの占領させたが、他の全軍を率いて、追撃したのである。
 夏国相は、本当は平遠へ逃げ込みたかったが、蔡敏栄の追撃が早すぎた。仕方なく、彼は平遠を棄てて逃げた。この追撃によって、夏国相は大勢の兵卒を失った。だが、それでも蔡敏栄は容赦なく攻める。昼夜休まぬ追撃で、彼等は威寧まで進軍した。
 休むことさえできない敗走で、夏国相軍は、八・九千の兵力を失った。戦死したのか、降伏したか、或いは逃亡してしまったのか。この一戦によって、周は貴州を完全に失い、夏国相は、雲南目指して落ち延びた。
 大勝利を収めた蔡敏栄は、暫く威寧にて兵馬を休めると、三軍を厚く褒賞し、充分に志気を高めるや、即座に雲南へ進軍した。 

 話は変わって、こちらは貝子頼塔、貝子彰泰及び広西巡撫傅宏烈。彼等は各々大軍を率いて、広西から雲南へ進軍していた。
 この時、呉世蕃は未だ若く、一切の国事政治は、夏国相、林天拏、王緒に委ね、軍事は夏相国と郭壮図に委ねていた。頼塔等が、広から雲南へ侵入すると、雲南辺境の将士達は国都まで使者を出し、その結果、ふ馬の郭壮図が曲靖へ出張ることとなった。
 さて、郭壮図の為人を語るなら、もともと些かの軍略があり、そこを呉三桂から見込まれて娘婿となった人間である。呉三桂が事を起こすや、郭壮図は雲南の留守となり、雲南の政務一切を取り仕切った。そして、各戦場へ滞りなく兵糧を供給し続けた。
 曲靖へ移ってからは、布陣や軍略について、一々夏国相と相談していた。しかし、馬宝が猜疑されて夏国相が出征するや、辺境のことは全て郭壮図の双肩にかかってきたのである。
 曲靖というのは、広西からほど遠くないところにあった。前面を山脈に阻まれた険阻な地形。郭壮図は、たちまち地形にあった厳重な布陣を完成した。
 彼が曲靖へ向かう時、夏国相は言った。
「敵が大挙して、桂から雲南へ侵入してきた。この一軍へ対して、曲靖は重要な拠点である。だから、陛下の至親である将軍が抜擢されたのだ。将軍は勇敢剛毅で有能な人間。必ずや敵と対抗できる。ただ、戦況はここまで逼迫している。将軍は、守備を第一にして、攻撃には主点を置かれるな。そして、チベットへ連絡を取り、あそこから出兵させて四川を招撫させるよう。我等が力を合わせて雲南、桂林を守りきり、敵の隙を見て撃破すれば、まだまだ勢力を挽回できる。」
 もともと、郭荘図は夏国相を尊敬しきっていた。だから、曲靖へ出た後も、一々使者を派遣して彼の指示を仰いだのである。そして、曲靖に於いて、兵卒の訓練に余念なく、しかも士卒を良く慰撫した。その上守備も固めていたので、貝子彰泰等が屡々雲南へ侵入を目論んだが、悉く撃退されてしまっていた。
 やがて、夏国相の交代劇が、郭壮図の耳へ入った。
 彼は嘆いて言った。
「国が滅ぶ!馬宝なら、敗れたとはいえ、なお蔡敏栄と対抗できる。夏相国が雲南にいれば、臨機応変の処理をして士卒に力を尽くさせて、国を支えることができる。今、夏相国が雲南を去れば、人心は離間し、敵は益々強大になってしまう!」
 叫んだ後に、出るのは溜息ばかり。しかし、守備を固める以外、彼にできることはなかった。
 すると、狙い澄ましたように報告が入った。
「頼塔と傅宏烈が大軍を率いて来襲しました。」
 郭壮図は急いで諸将を集めると軍議を開いた。
「彰泰程度なら、吾は意にも介さなかった。だが、今回、敵は三軍が結集した。これは容易ならざる相手だ。たとえ守り切れたとしても、奴等はここに我々を釘付けにして、別道から雲南へ侵入するだろう。それならば、戦って敵を撃破する以外ない。この一挙に勝利すれば、我が国は、数年は安泰だ。」
 左右は皆、これに頷いた。そこで、兵卒を結集し、象数百頭を連れ出した。
 郭荘図は、象陣を作ると、これを前軍とした。すると、部将の武安が言った。
「以前、馬宝が象陣を用いましたが、蔡敏栄に撃破されました。今回、どうしてこの策を用いるのですか?兵卒の闘志よりも野獣を重視するなど、不祥です。」
 すると、郭荘図は言った。
「馬宝が敗北したのは、計略が事前に漏洩したからに過ぎん!象の力は最強だ。当たる所は必ずなぎ倒してくれる。それに、象に敵陣を掻き乱させ、我が兵がその後に続くのだから、兵力を軽視するとは言えない。」
 こうして、勇兵を選りすぐって前軍とすると、象をその先頭に立たせ、頼塔軍を十分に引きつけてから進攻した。
 さて、頼塔は曲靖まで進軍していた。ここいらは険阻な地形に、樹木が鬱蒼と繁っている。これを見て、頼塔は傅宏烈へ言った。
「この地勢は、伏兵を設けるのに打ってつけだな。」
 すると、傅宏烈は言った。
「我等は大軍で、敵は小勢。何も我等から奇策を用いることはありますまい。ただ、敵方の奇策に陥るのが怖いだけでござる!ここは、まず、この樹木を処分し、敵が伏兵を設けられないようにするべきでござろう。そうやってから進軍すれば、必ず勝て申す。」
 頼塔はこの策に従い、全ての樹木を焼き払いながら進軍するよう兵卒達へ命じた。
 やがて、郭荘図は敵方の居場所を察知し、象軍を先頭に進軍したが、奇しくもその時、傅宏烈軍は樹木に火を放った。紅蓮の炎は天を焦がさんばかりに燃え上がり、象達は驚いて反転すると、後へ続く自軍へ駆け込み、散々に踏みにじってしまった。清軍はこれを見るとこの機とばかりに追撃し、郭荘図軍は大敗北を喫したのだった。