「四期の会」について

 旧制中学明善校美術部は、戦後間もなく山村秀一先生のご指導で復活し、若者たちは絵を描くことで、それぞれの青春を謳歌しました。
 昭和23年、大先輩青木繁の碑がけしけし山に建立されたのを機会に、旭屋(現井筒屋)で青木繋展が開かれ、若者たちは強い強い刺激を受けたものでした。校内文化祭での作品展だけでは飽き足らず、旭屋で美術部展(22年、24年)を開きました。23年の夏には耳納山奥の丸山榛三郎先輩のお宅でスケッチ合宿し、山頂でキャンプファイヤーを囲みながら談論風発、また山村先生作曲独唱の「わが国はつくしの国や白日別 母います国 櫨おおき国」(青木繁作)に耳を傾けたこともありました。
 昭和24年に久留米高等女学校と合併し、山村、原田両先生のご指導のもと「明善高等学校美術部」として活動してきました。旧女学校の美術教室の準備室が活動の拠点でもあり溜り場でもありました。
 昭和24年に筑後地区高校美術部連合(南筑高校、久留米高校、明善高校等)の展覧会が旭屋で開かれたのも、遠い思い出になりました。
 そうした若者たちのうち、昭和25年から28年の間に卒業した者が、50才代になったのを契機に昭和59年に、ここ井筒屋でグループ展を開きました。その際「四期の会」を結成したのです。
 時は移り、全員、古希を迎えたのを機会に第2回「四期の会 美術展」を開くことになりました。絵画以外でも美術活動を続けている者もいます。それらの作品の一部を持ち寄ってご覧いただくことにしました。ご高覧の上、ご批評いただければ幸いにぞんじます。
 本日はご来場ありがとうございました。