’04 明善三十会だより
 明善三十会の皆様、お元気でいらっしやいますか。昨年は「ふぐの会」で久しぶりに懐しいお顔に接し、うれしい思いをさせて頂きました。また、この度、9月にリサイタルを行うにあたり、身近な方々にお声をかけさせて頂いたところ、沢山の方々がお集り下さり、感謝感激の出会いでした。
 これ迄の私のリサイタル歴の中で、久留米で行ってないのが、唯一の心残りでしたが、そのチャンスがついにやって参りました。来たる9月11日(土)6時より久留米文化センター共同ホールにてリサイタルをいたします。明善後輩の作曲、作詞家の作品を歌い、久留米緋の福岡県文化賞受賞者、松坂哲哉氏夫妻をゲストにお呼びして、久留米一色のコーナーも設けております。きっとユニークなとても楽しいコンサートになると思います。
 「まだ声が出っとの?」の豊福さんの言葉に、本気で心配して下さる方もいらっしやいます。ちょっと弁解させて頂きますと一昨年は東京交響楽団と共演しましたし、昨年はオペラシティ大ホールで三階までいっぱいになっていただきましたし、今年は文部省管轄の日本国際交流協会からの依頼で、日本に留学している学生に講演とコンサートを行い、別に恥をかく事もございませんでしたので、どうぞ9月にはぜひ聴いて頂き、皆様の耳で確かめていただげればど思う次第です。
 久留米では三十会の皆様が頼りで、他に知人も余りおりません。久留米での初めてのコンサートが良い想い出として残せます様に、どうか皆様方の暖かいお力添えを、心よりお願い申し上げます。                      山田 芳子
 
編集後記
◆本会冒頭に…西に滔々たる筑水の清流に…と続けるつもりでしたが、いま、筑後地方でもコイ・ヘルペスが猛威をふるい筑後川でも何万というコイやフナが死に腐臭を放っています。梅雨の晴れ間に筑後川に行って見ると、篠山城下では護岸用に置かれたテトラポットの間に風で寄せられ死骸が無数に浮いていました。BSE、鳥インフルエンザ、コイ・ヘルペスと何か世の中が不気味になってきましたね。さて次は? おそろしや!◆その写真を撮っているとすぐ横に前々号でお知らせした「ドクターヘリ」(西日本空輸の伊藤陽一郎君が大内田敏昭君が専務時代の川崎重工業から購入したもの)が待機していました。周囲を警備している警備員の話では、この一年間に約340回ほど病人を運んだとのことでした。このヘリのお陰で多くの人の命が救われたことを伺い、梅雨の晴れ間のように心が晴れました。◆3月に東京で関東の幹事の諸氏と詳細な打合せができ本当によかった。幹事の皆さんの真撃な取組みに頭が下がりました。今度の同窓会もきっと皆に喜ばれることと思います。聞けば32年卒も9月末に東京の赤坂プリンスホテルで同窓会を開催するとか、100名は集まりそうだとのこと、これは負けられんですばい。◆35年前の5月、50名が集い第一回同窓会を行在所で開催。明善三十会と命名。会長に山口廣太君を選出して発足した本会でした。当時は学生時代と思いは変わらず、当然ながらお互いをよく知らない三十会の面々。順風満帆の舟出ではなかったようです。2回目、3回目の同窓会では廣太君の会社の電話を借り受け二人で「出てきてくれんのぢゃん!」「恥ずかしかこつがあるもんの、すぐ仲ようなっとばい!」そんな呼びかけを何百名にしたのだろう。そうした礎が今日の他の年次が羨む同期会になったことを思うとき、卒後50周年にあたり、改めて山口前会長に感謝の誠を捧げたい。おっと大場会長も頑張っとります。◆車の中でニュースを聞きました。宇都宮で銃を発砲、女性を人質に立てこもったという。これには事務局驚きました。「とうとう」、「遂に」、「やっぱり」やったかと。重松守チャンのことが頭をよぎりましたね。でも、人違い。ほっと胸をなで下ろしたものでした。良かった良かった。ばってん、立てこもりと聞いて守チャンと思うのは、思いやりがあるのか、守チャンなら‥・と思う小生に偏見があったのか?どっちじやろうか。自分でもよく分からなくなったのでした。…◆印刷の前日突然行方が不明だった的場君から電話が入りました。しっかり話しました。「いま次男の所で孫守りとパチンコぐらいの毎日。もう目もまあーるくなって好かじいさんたい。住所も電話も書いてもらって良かばい‥・」とのこと。何とかやりくりして記載できて良かった。
 
 明善三十会では、上記のように6頁構成の会報を年2回発行しています。
今回、山田芳子ソプラノリサイタルの後援をしています。